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成程話:これまで人さまからうけた恩だけは

2017年07月27日 22:44

噺し家“古今亭志ん生”さんのお話です。


名人落語家古今亭志ん生は、戦時中に、開拓民、軍人の慰問で満州に入り、大連で日本の敗戦を知った。
満州国は崩壊、生活に困窮し、空腹をかかえ、みすぼらしい姿で、わずかなタバコを金にしようと大連デパートの知人を訪ねた。しかし、体よく換金は断られた。
がっかりして志ん生デパートを出ようとした。そのとき、見知らぬ人が声をかけてきた。
相手は石田紋次郎と名乗った。以前志ん生の噺(はなし)を聴いて随分励まされたという。
石田デパート関係の仕事で来ており、志ん生の困った姿を見て、つい声をかけたのだ。
石田は言った。
志ん生さんが内地へ引き揚げるとき、持って行ってもらいたいものがあるので、ご足労ですが家に来てほしい、よかったら今来てほしい」
何のことかよく分からないが、他に用もない志ん生は同意した。
ついて行くと、石田は途中でパンを買った。
志ん生さん、うちに行って、食事を差し上げたいが、それまでのつなぎにこれを召し上がってください」
志ん生は数日、満足に飯を食っていなかった。うれしかった。厚く礼を言って、パンを食べた。石田は、肉屋に行き、豚肉を買って来た。
「この肉は志ん生さんからの手土産ということにしてください」
志ん生はうなずいた。石田の家に着くと、石田は出てきた奥さんに言った。
「今ね、志ん生さんに偶然会ったの。これを買ってもらっちゃったよ。せっかくのご厚意だから頂戴して、夕食をご一緒していただくことにした。さァはやくご飯を炊いておくれ、いただいたお肉で飯を食べることにしよう」
やがて用意が出来た。石田志ん生大好きな酒を振る舞い、奥さんも有名な客がお土産まで持って来たと思って、とても喜び、肉も、酒もしきりに勧めてくれた。
石田志ん生の肩身を広くして、奥さんの前で恥をかかせず、遠慮なく飯を食わせてやろうと、取りつくろってくれたのだ。
志ん生は心の中で手を合わせた。
ありがたさに食事中、涙がどうしてもこみ上げてくる。
涙を奥さんにみせないよう天井を見上げ、巧みな話術と仕草でごまかし、あくまで悠々とした態度を演じた。

80の物語で学ぶ 働く意味
川村 真二 著
日経ビジネス文庫


その後、日本に帰ってきた石田さんを、今度は志ん生さんが恩返ししたといいます。
志ん生さんはこう言います。
「あたしは、これまで人さまからうけた恩だけは、いつまでも忘れたくねえ。忘れちまうようじゃ、ろくな噺し家になれねえと、こう思うんですよ」
北川八郎先生の著書「繁栄の法則」にはこうあります。

この世を去るときに持って行けるものは、「人に与えた悲しみと喜びだけ」。
名誉とか富とか権力とか何も持って行けない。
人々が皆、自分のためだけに生きて、この世の中が良くなっていくでしょうか。
(中略)
三十代までは人からもらう世界。
知恵をもらったり、教えてもらったり、力をもらったり、「もらう世界」ですよ。
でも、四十代になったら、今度は「返す世界」です。
四十代に入ったら少しずつ返していかないといけません。
自分がいただいた恩や、得た情けや、それから学んだ知識や、そして優しさやあらゆるものを今度は返すしかないのです。
四十代に入ってもまだもらっている人は人生がそこから伸びない。
いつも私利と欲の世界から逃れきれない、人に「返す」ことができない。

「ありがとう」と言って終わりにしない。
今度は「ありがとう」を言ってもらえるように、お互い様、おかげ様の心で貢献していきたいですね♪

このウラログへのコメント

  • kouji 2017年07月28日 00:05

    私は母子家庭で育ちましたが、世間からいろいろなものをもらって育ちました。なので社会人になってからは返すことをいつも考えてきました。
    公務員になったのもそのためです。退職した今も返し続けています。

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