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雨あがる
2017年06月15日 00:05
雨あがる
▼今日は、『雨あがる』という映画から「いい言葉」を紹介したいと思います。
『雨あがる』は、山本周五郎原作で、黒澤明監督が亡くなる前に脚本を書いたという作品です。
黒澤明監督の遺志をついだスタッフが映画化し、2001年日本アカデミー賞最優秀8部門受賞を受賞しています。
▼私は、この映画に出てくる武士のその妻の言葉に、美しく温かな日本人の心を感じます。
ストーリーを知っていた方が味わい深いので次に紹介します。
でも、DVDを観るので知りたくないという方は、
●のところだけでも目を通され、後は読み飛ばしてください。
では、物語のはじまり、はじまり・・・
▼主人公の三沢伊兵衛(寺尾聰)は剣の達人。
しかし、遠慮深く、まわりの人への思いやりがあり過ぎて、かえって人間関係がうまくゆかず失職を繰り返している侍です。
仕官の口を求めて妻の「たよ」(宮崎美子)と放浪中なのです。
▼旅の途中のふたりは、長い大雨で河を渡ることが出来ず、ある宿場町に足止めされていました。
ふたりが泊まった安宿には、同じように雨が上がるのを鬱々として待つ貧しい人々がいました。
そんな彼らの心を和ませようと、伊兵衛は禁じられている賭試合をし、その儲けた金で、酒や食べ物を彼らに振る舞い喜ばせます。
▼翌日、長かった雨もようやく上がりました。
気分転換に表へ出かけた伊兵衛は、若侍同士の果たし合いに出会います。
危険をかえりみず仲裁に入る伊兵衛の強いこと。
その腕前を見た殿様が、伊兵衛を藩の剣道指南役にしようします。
▼ところが、頭の固い城の家老たちはそれに猛反対。ひとまず御前試合で判断を下すことになります。が、そこで伊兵衛は、自ら相手をすると申し出た殿様を池に落とすという大失態をしてしまいます。
▼それから数日後、仕官の合否をそわそわしながら待つ伊兵衛の元にやってきた家老たちは、伊兵衛が賭試合をしたことを理由に彼の仕官の話を断るのです。
▼面目なさそうに、うなだれる伊兵衛(寺尾聰)。
その時、いつも控え目な妻たよ(宮崎美子)が家老たちに向かって、凛としてこう言い放ちました。
●この言葉がいいんです。
「主人が賭け試合を致しましたのは悪うございました。わたくしもかねがねそれだけはやめて下さるようにと願っていたのでございます。けれどもそれが間違いだったということが、わたくしは初めてわかりました。
主人も賭け試合が不面目だということぐらい知っていたと思います。
知っていながらやむにやまれない、そうせずにいられない場合があるのです。
わたくし、ようやくわかりました。主人の賭け試合で、大勢の人たちがどんなに喜んだか、どんなに救われた気持ちになったか。
大切なことは、何をしたかではなく、何の為にしたか、ということではございませんか。
あなた達のような木偶坊(でくのぼう)にはお解りいただけないでしょうが・・・」
●さらに、夫に向かい優しいまなざしで言いました。
「これだけ立派な腕をもちながら花を咲かせることが出来なくても、わたくし、このままでようございます。他人を押しのけず、他人の席を奪わず、機会さえあれば、貧しいけれど真実な方たちに喜びや望みをお与えなさる、・・・このままのあなたも立派ですもの」
▼そして、ラストシーン。
再び放浪の旅に出る伊兵衛とたよ。
美しい山々を背景に、二人は街道を歩きます。ところがその後方には、ふたりを追って馬を駆る殿様の姿がありました。伊兵衛とたよを自ら迎え入れるために・・・
▼これがこの映画のストーリーです。
私は、伊兵衛の妻たよの言葉を聞いて、マザー・テレサのあの言葉を思い出しました。
「大切なのは、どれだけたくさんのことや偉大なことをしたかではなく、
どれだけ心をこめたかです」
▼最初に、妻たよの言葉に、美しく温かな日本人の心を感じると書きましたが、「何の為にしたのか」「どれだけ心(思いやり・愛)をこめたか」とは、世界中の誰にとっても、人間として大切なことなのだと思います。
▼とすれば、
わたしたちも、今日、
たとえ大したことはできないにしても、
誰かのために、
何か大切なことが、とても大切なことが、できるのです。
★きっとよくなるヒント★
大切なことは、何をしたかではなく、何の為にしたか」です。
そのままのあなたもきっと素敵です。なんて思われる人になっていきたい。
このウラログへのコメント
現代社会は目的の見えにくく、多くの人は目的意識を持たないまま日々の仕事に時間を奪われています。
手段が目的化した社会とも言えるでしょうね。
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