- 名前
- ねお77
- 性別
- ♂
- 年齢
- 46歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- SM度はかなりSにしましたが、被虐系ではなく羞恥心を煽る系のSです。 恥ずかしがった...
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プレイと気持ち
2017年04月08日 06:49
昨日の日記も精神面での話でしたが、今日も少しそのあたりの話を続けたいと思います。
単純な質問ですが、今、これを読んでいる貴女は、自分が好きな方法で責められたら、常に同じように感じますか?
恐らく答えはNoですよね。
これはSMにももちろん当てはまります。
つまり、同じように縛っても責めても、そこに気持ちが伴わなければ苦痛にしかなりません。
私はSMには、行為(プレイ)と精神(気持ち)の二面性があると思っていて、これらは掛け算のような関係だと考えています。
満足度=行為×精神
ですね。
つまり、同じプレイでも気持ちが0なら満足度は0です。足し算ではなく掛け算だから。
逆に気持ちが大きければ、その行為は肌に触れない言葉責めであっても十分に満たされます。
極論をいえば、気持ちが0の行為はレイプでしかない。それはSとしてもとても悲しいことです。
SMの精神論といえば、やはり主従関係(ご主人様と奴隷)というイメージがいうのがありますね。
もちろん私もその関係は理想と思いますし、過去にはそのような相手もいましたが、奴隷気質の方が誰でもご主人様にできるかというとそんなことはありません。
会う回数の問題ではありませんが、主従関係は徐々に築かれていくもので、お互いに信頼しあえてこそ成り立ちます。
また、次回以降にお話をしますが、SにもMにも色々な嗜好の方がいます。なので、ご主人様気質、奴隷気質というくくりだけで主従関係を作れるわけはなく、お互いのことを理解する過程が必ず発生します。
もちろん、単発のSMプレイとしてご主人様と奴隷を演じるというのであれば別の話ですね。
私がここで書いているのは、もっと長いスパンでお付き合いできるパートナー関係の話になります。
お互いを理解し、お互いが相手を満たしたいという気持ちからはじまって、いつか相手が満たされることで自分も満たされるという関係になるのが、主従関係の最初の一歩だと思います。
命令と服従だけならプレイとしてすることはできますが、表現しにくいですが、やはりそこに気持ちがどこまで入っているかですね。
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