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ある話を。
2017年03月05日 23:36
ある日のファミレスでの一場面。
一生懸命話す年配のお父さんと息子、
そしてお母さんの居るテーブルや、カップル、女性の友達2人のテーブルが有る中で、とても気になる人たちのテーブルがありました(あんまり観察してるのもなんなのですが)
その様子をかいつまむと。。。
お母さんはゲームを使ってゲームをし背広のお父さんはスマホいじり。小学校4年くらいの男の子がお母さんの横に座っていて、お母さん似のかわいらしい顔立ちなんだけど、やっぱりお母さんと同じようにゲームを手にゲームをしている。
気がつけば、そんな様子が続いてもうかれこれ1時間。今日のことではないですがだいぶ遅い時間だったはず。
あれ、お父さんもスマホと思ったらゲーム機でゲームやってたんだ。(そんなにチラ見観しちゃダメでしょとか思ったり)
なんとなく男の子の顔にはくたびれた感。いろいろなカタチがあるので良い悪いはいえないし、今の世の中だなあとも思いつつ。。。
まあ、でも、親が何もしないってこれでいいのかなあ・・・と思ったので、今回はこんな内容です。
↓
スポーツ雑誌、NUMBERからの内容です。よろしければお時間のある時にどうぞ
「僕は何もしていないよ」
これは昨年(古い内容ですが2011年)のプロ野球クライマックスシリーズにおいて、当時中日の監督だった落合博満氏が、勝利インタビューで発した言葉である。
この言葉をまともに信じた人はあまりいないであろう。
落合監督といえば頭脳監督の代表であり、策士、何を仕掛けてくるかわからない不気味な監督と思われていた。
更に勝利のためならば非情采配を平然とするというイメージもあった。
しかし長年落合を追いかけてきた私はその言葉を額面通りに受け止めた。落合監督は本当に何もしていないのだ。
そんなことであんなに勝てるのかということなのだが、そこで思い出したのが私の師匠、談志の存在である。
談志は弟子に落語をほとんど教えない。
一般的な落語家の師匠は、和室で着物に着替え、向き合い、手取り足取りきちんと教える。だが談志はそんなことはまずしない。
入門して最初の一席だけはきちんとしゃべってくれるが、着物には着がえないまま、あぐらをかいてぼそぼそと。
ただ時折噺を中断させてその噺に関するエピソードを語ってくれる。
この稽古方法で私は3度教わっただけ。
あとは勝手にやれというのみ。
談志は常々「やらないやつはどんなにやれと言ってもやらない。やる奴はやるなと押さえつけてもやる」と言っていた。
そして、談志は弟子を育てる名人ともいわれた。
何故まともに稽古をつけないのに弟子が育ったか。
それは談志が己の生きざまをみせつけていたからだ。
落語と格闘し、もがき苦しむ姿をさらし続けていた。
談志の言う「やる弟子」は師匠の背中を追いかけて同じように格闘した。
ただやらない弟子はやらないわけだし師匠の生きざまもみない、ということだ。
談志とは、6年前の2011年にお亡くなりになった、落語家の故立川談志師匠。
高座に上がっている先輩落語家に落語が下手だから「落語をやめてくれませんか」と言ったり、騒いでる客を前に「こんな客相手にやってられるか」と高座をおりたり、ファンの方ならこれ以外にも沢山のエピソードを知っていらっしゃると思いますが、29歳の若さで現代落語論という著書を出すほどに落語、笑いという道に真剣に向き合い続けた方。(そんな簡単に私が言えるレベルではないですが)
もしも、ほんとうに何もしない、ということで相手に伝える、教えるという事に宛てると本当に格闘している姿がないと響かないのかな、とも思ったりもします。。。そもそも人に教える、ということがおこがましいという心持がなければ、伝わりもしないのかなとも思いますし。
では最後にこんな言葉を。
↓
「物事が失敗した後には逆に成功するものである。だから、自分の思い通りにならないと時でもやたらに手を放ち投げ出してはいけない」
菜根譚(中国古典)洪自誠 作 より
いろいろなことがありますが、肩の力は抜いて、深呼吸しながらでも、踏ん張って行動していきたいものです。
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