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成程話:これほど強いものはない

2016年06月01日 23:45

「強きこと」についての話。


昔から武士たちは戦に出る前にお茶を一服いただきました。
もうこれで死ぬかもしれん、あるいはまた生きて戻ってこられるかもしれん。
そう思い、お茶をしっかりと喫したものです。
死を覚悟する、そのときに茶の湯が使われました。
死んでもいい、生き残ってもいい。
それを天にまかせる。
死とはこういうものであると受け入れた瞬間に、人は恐れるものがなくなります。
恐れるものが何もない状態ですから、これほど強いものはございません。
そしてひとたび戦場に出れば誰よりも強さを発揮します。
けれども、戦が終わればすっと慈悲の世界に入る。
これが本当の強さです。
強さというのは力の強さでも、単なる気の強さでもありません。
禅の中で正常な鍛え方をした先に真の強さがあります。
現代人にはこの強さが必要であると、私には思えるのです。

「耆に学ぶ
清水克衛 執行草舟吉田晋彩西田文郎寺田一清 (著)
エイチエスより


死を覚悟し、受け入れたとき、人は恐れるものがなくなる。
お金が無くなる恐怖も、運動音痴な所や、ポッチャリ体型も、人間関係の悩みも仕事の成果も、恐れるものが何もない状態。
それは強いワケです。
葉隠の教えでは、「朝毎に懈怠(けたい)なく死しておくべし」と言い、
【朝ごとに心身をしずめて、弓、鉄砲、槍あるいは刀で切り裂かれ、大浪にまかれ、大火の中に飛び込み、雷に打たれ、大地震にあい、高い崖から落ちたり、病死、頓死などといった、さまざまな死にざま、末期の事を考え、毎朝ゆるみなく、死んでおくべきである】と教えたそうです。
なぜそこまで、死を意識しなければならないのか?
人は、そうでもしないと“あたりまえの今に感謝できなくなってしまうから”なんだと思います。
こうして文字を読むことも、人に挨拶出来ることも、挨拶が返ってくることも、笑顔をくれる人がいることも、話しを聞いてくれる人がいることも、一緒に隣にいてくれることも、毎日ログを書けることも(笑)、もちろん読んでくれるあなたがいてくれることも♪
あたりまえになってしまうと感謝できなくなる。
お客さん商売でも、お客さんで溢れているときは気付けなかったりするけど、本当は一人のお客さんが来てくれることが「どれだけ有り難いことなのか!」ということです(*^_^*)
お客さんがいなくなって、暇になって、苦しくならないと気付けない・・・
だからこそ、あるものに感謝するためにも死を意識し、生を輝かせる!ですね♪

このウラログへのコメント

  • ルハーン 2016年06月01日 23:49

    当たり前じゃないのに当たり前だと思って感謝の気持ちが無くなるとダメなんですよね。
    胸に刻んでおきます。

  • なな♪ 2016年06月07日 00:15

    ルハーンさん:私も気をつけますつい当たり前だと無意識の中に思っていること、多い気がする

  • なな♪ 2016年06月07日 00:21

    克己さん:素敵です私も見習わないと

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