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成程話:ほんの少しの優しさ、ほほえみ、言葉がけ

2016年02月25日 23:41

ノートルダム清心学園理事長渡辺和子氏の心に響く言葉


マザー・テレサが日本にいらした時のことです。
私たちの大学にもいらして、待ち構えていた学生たちにお話をしてくださいました。
お話に感動した学生たちの中から、奉仕団を結成したいという声があがり、受け入れについての質問がでました。
マザーはとてもうれし気に、感謝しながら、こう言われたのです。
「その気持ちはうれしいが、わざわざカルカッタまで来なくてもいい。まず、あなたたちの周辺の『カルカッタ』で喜んで働く人になってください」
それから2年半経った3月中旬、私は広瀬さんという卒業生から手紙を受け取りました。
その人は、前年の3月に大学を卒業して、県内のある高校国語の教師をしていました。
自分が教師になって初めて送り出した女子生徒の一人が、卒業式後にこう言ったそうです。
「広瀬先生だけは、私を見捨てないでくれた。ありがとうございました」
そう言い置いて校門を出ていった生徒の後ろ姿を見ながら、広瀬さんは思いました。
「私がしたことといえば、授業中に目が合った時、あの子に努めてほほえんだことだけだったかも知れない」と。
その女子生徒は、学業にも家庭にも問題を抱えていて、他の教師たちには「お荷物」と考えられていたそうです。
他の教師たちから無視されていた生徒に、広瀬という新卒国語教師は、目を合わせることを恐れず、しかもほほえみかけることによって、その生徒の存在を認め、見捨てなかったのでした。
私たちの周辺にも「カルカッタ」があります。
それは案外、家族の中で相手にされていない老人かも知れません。
学校でいじめられたり、無視されている子どもたち。
職場で、社会で、仲間外れにされている人々。
生きがいを失って寂しい思いで生きている人たち。
そのような人たちに、ちょっとした優しい言葉、動作、温かいまなざし、ほほえみを差し出すことを忘れていないでしょうか。
「みんな、自分が一番かわいいのよ」と、私の母は、私が落ちこんでいる時に、慰めとも、いましめともつかない言葉を言ってくれたものです。
だから、淋しい人が生まれるのです。
私だって、淋しい時があります。
そんな時に、ほんの少しの優しさ、ほほえみ、言葉がけで、今まで何度、いやされ、力づけられてきたことでしょう。
私たちは、自分自身も「カルカッタ」にいる時があるのです。
ですから、お互いに手を差し伸べることがたいせつなのです。

『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所


こんな話があります。
「ある日、女の子が学校から家に戻ると、『今日の宿題は?』と父親に尋ねられます。
『今日はね、誰かに抱っこしてもらうこと』と答えた女の子を、父親は『よーし』と言ってすぐに、しっかり抱いてやりました。
そしてその後も、母親、祖父、曾祖母、姉たちに次々と抱っこされたのです。
翌日、学校から戻った女の子は、6人に抱っこしてもらった自分が一番だったと父親に報告します。
『皆、してきたんだね』と言う父親に、『ううん、何人かしてこなかった。先生が、前に出なさいと言って前に出たんだ。そしたら先生が、一人ひとりを抱っこしてやったんだよ』」(同書より)

渡辺和子氏はその話に対して、こう語っている。
宿題をしてこなかった子どもたちを叱るでもなければ咎めるでもなく、親の代わりに抱っこしてくれた先生の姿に、私は心温まる思いがしました。
そして、私たちの大学を出て教職につく一人ひとりが、こんな先生になってほしいと思ったことでした」
他人に対して、ほんの少しの優しさ、ほほえみ、言葉がけを、我々は出し惜しみしたり、億劫に思ってしまう。
人が救われるのは、何も大きな援助や、ボランティアだけではない。
ほんの少しの優しさ、ほほえみ、言葉がけを出し惜しみしない人でありたい。

このウラログへのコメント

  • なな♪ 2016年03月11日 23:49

    克己さん:ほんの少しでも優しさ感じることできると1日いい日になった気がします。

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