- 名前
- なな♪
- 性別
- ♀
- 年齢
- 42歳
- 住所
- 神奈川
- 自己紹介
- 下ネタは受け付けてないのでメール頂いてもそれに関してはお返事できないかも。 メールや...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
成程話:情の人
2016年01月02日 09:03
向谷匡史氏の心に響く言葉
田中角栄が首相当時、年賀状は八千枚がきたという。
だが、私が感心したのは年賀状の枚数ではない。
分刻みのスケジュールをこなす超多忙の角栄が、八千枚のすべてに目を通し、返信を代筆する秘書に添え文を逐一指示したという、そのマメさに驚くのだ。
印刷文だけの年賀状ほど味気ないものはない。
ところが、たった一言でも「あなたに宛てたメッセージ」が記されていれば、それだけで嬉しくなる。
角栄にしてみれば「一人対八千人」であっても、差し出した人にしてみれば角栄と「一対一」だ。
だから「あなたに宛てたメッセージ」が活きてくることになる。
政治家を政治家たらしめているのは、有権者だ。
選挙民の一票によって支えられている。
サルは木から落ちてもサルでいられるが、政治家は選挙に落ちたらタダの人になってしまう。
だから角栄は、どんなに忙しくても八千枚に目を通し、添え文を指示する。
「年賀状一枚=一票」という発想があったのだろう。
年賀状に限らず、角栄の人心収攬(じんしんしゅうらん)において「返事」というのは重要なキーワードになっていることがわかる。
政治家は、陳情など「頼まれること」が仕事だが、政治家はオールマイティではない。
得手の分野もあれば不得手もある。
“陣笠議員”など、うまくいかないことのほうが多いだろう。
しかし、力がないと思われたくないため、ノーになった結果は自分の口から伝えたくない。
「あの件、どうなりましたでしょうか?」
頼まれた相手から催促されて、「それが、なかなか…」
返事を濁したり、シカトしたりする。
これでは人の心はつかめないと、角栄は言う。
「必ず返事は出せ。たとえ結果が相手の思いどおりでなかったとしても、『聞いてくれたんだ』となる。これは大切なことなんだ」
頼み事をしたからといって、うまくいくとは限らない。
頼んだ相手も、それは承知の上だ。
だから心すべきは、結果よりも、誠意を持って動いたかかどうか、ということだ。
「なんだ、口先ばかりで、何もしてくれなかったじゃないか」となれば、人間として信頼を失う。
「うまくいかなかったけど、誠心誠意、よくやってくれた」となれば、相手は感謝である。
人から頼まれごとをされたときは、結果が出次第、返事は必ず自分でする。
言いにくい結果であればあるほど、きちんと返事をしてくれたことに対して、相手は誠意を感じるものなのだ。
『人は理では動かず情で動く』KKベストブック
情の人、田中角栄が四十四歳で大蔵大臣に就任したとき、大蔵省の超エリート官僚に対して語った伝説の名スピーチがある。
「私が田中角栄だ。
小学校高等科卒業である。
諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。
私は素人だが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきて、いささか仕事のコツを知っている。
一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。
われと思わん者は誰でも遠慮なく大臣室に来て欲しい。
何でも言ってくれ。
上司の許可を取る必要はない。
できることはやる。
できないことはやらない。
しかしすべての責任はこの田中角栄が背負う。
以上!」(同書より)
人は、「理」という理屈では動かない。
どんなにそれが正しかろうが、筋道がしっかりしていようが、「情」という感情や感性がそれを嫌だと思えば、テコでも動かない。
相手の学歴や肩書でもなければ、知識の量でもない。
人は、感じて動く。
だから、「感動」という。
「真があるなら、今月今宵。あけて正月、だれも来る」という、高杉晋作の言葉も同じ。
情けがあるなら、それが行動にすぐ結びつく。
明日の朝になれば、誰でも来るからだ。
情の人でありたい。
このウラログへのコメント
私はある問題について政策提言を書いて、これまでに何人かの政治家に説明を試みたけれどまともに耳を貸してくれた人はいない。
角栄が生きていたらな~
向き合ってもくれない人に指示をするかどうかって
ほんとは簡単な事ですよね
( ̄▽ ̄;)
克己さん:いつも誠実さを感じるコメントをいただいています。ありがとうございます(*^^*)
koujiさん:生きていたらどんな反応したんでしょうね(*^^*)
SYUZO-さん:確かに簡単ですね(^^)
コメントを書く