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大事な話:先縁尊重

2013年06月08日 21:58

大事な話:先縁尊重

致知出版、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より

「人生で大事なものは何か」
沢山の人達の答えを一語に集約すると「先縁尊重(せんえんそんちょう)」という言葉に表現できると思います。
原点の人を忘れないで大事にするということです。
例えばAさんからBさんを紹介され、Bさんと大変親しくなり、Aさんを忘れてしまう。
挙げ句は無視したり不義理をする。
そういう原点の人を大事にしない人は運命から見放されてしまう、ということ。
私の知っている経営者にこういう方がいます。
その人は丁稚(でっち)奉公に入った店の主人から、ある日突然理不尽解雇されたにもかかわらず、毎年正月にその元主人の家に年始の挨拶に行くことを欠かさなかったといいます。
普通なら恨みに思っても不思議はないところですが、自分がこうして曲がりなりにも商いをやっているのは、その元主人が自分に仕事を教えてくれたお陰だという原点を忘れなかったのです。
この人は正に先縁尊重を実戦した人です。
この人の会社が創業44年、尚も隆盛しているのはこの精神と無縁ではないと思います。
先縁の原点は親です。
親がいなければ私達は誰一人この世に存在していません。
その親を大事にしない人はやはり運命が発展していきません。
親はいわば根っこですね。
根っこに水をやらなければ、あらゆる植物は枯れてしまいます。
親を大事にするというのは、根っこに水をやるのと同じです。
「父母の恩の有無厚薄を問わない。父母即恩である」と西晋一郎先生はいっています。
正に至言です。
この覚悟のもとに立つ時、人生に真の主体が立つのだと思います。
そして、その親の恩を更に遡ってゆくと、国というものに行きつきます。
この国のあることによって私達祖先はその生命を維持継承してきたのです。
即ち、国恩です。
国恩あることによって私達は今ここに生きています。
最近はこの“国の恩”ということを意識する人が少なくなりました。
そういう国民は発展しないと思います。
今日本に確たるものがなく、漂流しているが如き感があることと、国恩という言葉も意識も薄れていることとは無縁ではないと思います。

生きる力になる言葉』致知出版社


中国の[大学]の中に[物に本末(ほんまつ)有り。事に終始(しゅうし)有り。先後(せんご)する所を知れば、則(すなわ)ち道に近し」の一文がある。
物には「本(もと)」と「末(すえ)」があるということ。
事には始めと終わりがあるということ。
何が本で、何が末か。何が始めで、何が終わりか。
その順序を間違えるとあらゆる事はスムーズに運びませんよということです。
(以上、同書より)

我々は本という原点忘れてしまうと、常に右往左往しなければいけない。
「木を見て森を見ず」のように、枝葉を見て本質を見ようとしないから。どんな事象にも根っこはある。それが「先縁」という最初に結んだ縁。歌にもあるように、「義理が廃(すた)ればこの世は闇」だ。
人の縁、親の縁、国の縁…全ての「先縁」を大事にしたい。

このウラログへのコメント

  • なな♪ 2013年06月09日 18:06

    隣のトトロさん:ですね。つい忘れがちですが

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