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性体験記 その2

2006年09月07日 03:22

2006/09/07 02:02
この祖父の家の女中美佐子との関係はほぼ半年続いた。
なにしろまだ20才の学生だったし、美佐子は一回り以上年上だから、
私はセックス出来ることに夢中で、彼女が満足してるかどうかは、
まるで判っていなかった。
コンドームも付けず、ナマ挿入を毎日続けるわけだから、
妊娠しないほうがおかしい。
当然妊娠したらしいのだが、彼女が全部処理したらしく、
後になって結果だけを教えられた。

この美佐ちゃんが、祖母の薦めでお見合いして、
結婚が決まったのはその年の暮れで、
翌年、祖母がすべての支度を調えて、我が家から嫁いでいった。
もしかしたら祖母は、何もかも知っていて、
孫の不祥事を隠すために、そう言う処置を取ったのかも知れない。
私は何も知らされておらず、ある日学校から帰ったら、
彼女がいなかった。

その後に女中として雇われて来たのは、
高校を出たばかりの18才の小娘で、
年齢が近い女の子だけに潔癖な性格だったから、
私には手が出せなかった。

大学3年の終わり頃、祖父が肺ガンで倒れた。
自宅療養をすることになり、祖父の看病を兼ねた家政婦が雇われた。
32~3才の出戻り(今のバツイチ)で、看護婦資格を持っていた。
祖父の家は200坪の大邸宅で、部屋数は12もあるのに、
住んでいたのは、祖父母と私と女中2人、家政婦の5人だった。
昼間は来客が多いので、賑やかなのだが、夜はひっそりと静かだった。

新しく雇われた家政婦は綾子さんと言った。
長野県松本市の出身で、離婚後に大阪へ出てきて、
家政婦会に所属して、あちこちに派遣されて住み込んでいた。
彼女に割り当てられた部屋は私の部屋の隣で、
祖父の病状次第で、すぐに看病できる位置に寝起きしていた。

大学3年の冬休みのある夜、祖父が激しく咳き込んでいたので、
彼女は深夜までテキパキと働いて、ようやく祖父が寝付いたので、
私の部屋へやってきた。
私も彼女の手伝いをして、祖父の寝床の移動とか、
力仕事を受け持っていたのだ。
病人の世話は彼女にとっては手慣れた仕事なのだが、
素人の私にはかなりきつい仕事だったので、けっこうへばっていた。
彼女はベッドに倒れ込んでぐったりしている私を見て、
マッサージしてあげようか? 私はけっこう巧いのよ」という。

うつぶせに寝ている私の背中またがって、
私の背中や腰を指圧してくれたのだ。
真冬だというのに彼女は素足のままでストッキングも履いてなかった。
私の顔のそばで、ほんの少し汗ばんでいるムッチリ厚みのある
太ももを眺めているうちに、私はにわかに欲情してきた。
私はいきなり彼女スカートの中へ手を伸ばして、
太ももに抱きつき、顔を彼女股間に割り込ませた。
「ちょっとちょっと、ダメじゃないの?」
彼女は怒りもしないで、私の頭を抑え付けたが、顔は笑っていた。

私の大学時代は、昭和31年売春防止法が制定され、
遊郭や岡場所が全面廃止となり、セックスのチャンスは最悪の時代。
アルバイトサロンキャバレーは最盛期だったが、
大学生には縁が無く、恋愛純愛一辺倒。
女性処女が尊ばれ、婚前交渉など以ての外という時代。
そんな時代だけに、私はまだ恵まれていたのかも知れない。

美佐子さんとの半年は無我夢中だったが、
それでもセックスに慣れて来て、多少の余裕が生まれていた。
未婚女性はガードが堅く、簡単にセックスはさせなかったが、
30才以上の女性は「行かず後家」とか「出遅れ女」と言われ、
焦りが強かった。しかし私はまだ21才、男としてまさに最盛期。
三十路女には得難い獲物だったらしい。
この半年間に、私は5年分の成長を遂げていた。

綾子さんは結婚歴のある三十路女。しかも看護婦経験がある。
美佐子さんで味を占めて以来、三十路女はガードが甘いと思っていた。
だから私は彼女が来たときからチャンスを狙っていたのだ。
ところが今度は彼女のほうから誘ってるように思えた。
彼女がこの家に来てまだ1週間目のことだった。

彼女股間は女のフェロモンでむせ返っていた。
私の一物はビンビンのいきり立ち、抑えが効かなくなっていた。
私は彼女を押し倒し、パンツを脱がせようと焦った。
ところが彼女はクルッとしなやかに身をよじって、
私に背を向けてしまったのだ。私は慌てた。
私は怒張した一物を彼女の尻に押しつけ、
後ろからパンツを脱がせようとしたのだ。

「ボン、慌てないで。させてあげるから」笑いを含んだ声で言う。
この一言で私の手から力が抜けてしまい、ただ一物を押しつけていた。
彼女は私の怒張した一物を片手で握り、自分でパンツを脱いだのだ。
彼女は再び私を仰向けに寝かせると、自分で私の一物を股間に導いた。
ゆっくりと彼女が腰を落とした。今で言う騎乗位だったのだ。
私の一物が彼女の最奥に到達した途端、私は暴発してしまった。

綾子さんとの関係は私の人生に大きな影響をもたらした。
私はすっかり三十路女にハマったのだ。
私の熟女好きはこの時に始まった。
祖父はその翌年、83才の生涯を閉じた。
そしてその年の秋の叙勲で、勲五等瑞宝章を授与された。
祖父は生存中に業界貢献と大阪商工会議所の永年勤続で、
紫綬褒章と黄綬褒章を授与されていた。

祖父の死後、綾子さんは解雇されて我が家を去ったが、
私との関係はその後も続いた。
彼女は家政婦会に戻り、再び他家に派遣されたのだが、
彼女は私との関係を続けるため、我が家の近所の家に住み込んだのだ。
私はその年に大学を出て社会人になり、
大阪北浜広告代理店就職したが、営業担当だったため、
外回りの都度、彼女の新しい勤務先に立ち寄り、
家人が留守中の家に上がり込んでセックスを楽しんだのだ。
彼女が去ったのは、その翌年昭和37年で、2年半続いた。

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