- 名前
- 御茶ノ水博士
- 性別
- ♂
- 年齢
- 58歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 女性を綺麗にすることが趣味です。女性が美しくなるのは、恋をしたとき、人に見られるとき...
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女の子のための性教育講座 7
2010年05月28日 22:28
私は美香子にタトゥーを入れさせるかどうか、迷っていた。美香子も肌は白い。臍とクリの上部には、ピアッシングさせているが、それは私に犯されるときの正装であり、穴は耳たぶ以外にも、乳首にも陰唇にも開けてある。
私は素の女の体を好む。過剰な装飾は好まなかった。
美香子の股間は、毎日剃らせているから、ツルツルなのだが、海外出張のときは、それを許した。出張は多く、大概1週間は留守にした。
美香子が海外出張の時は、真理子を私の部屋に引き取った。美香子は嫌がったが、真理子が望んだのだ。金曜日の夜の美奈との逢瀬のとき以外は、真理子は私に毎晩犯される。
私は真理子のVにしか挿入しないし、美香子にはAにしか挿入しない。今のところ、真理子に穴は開けさせない。耳たぶも許さなかった。
真理子には、本物のメスになってもらいたかったから、私は決して焦らなかった。化粧も料理も裁縫も勉強も、なにより女の喜びの源泉である、セックスを丁寧に教え込んだ。
しかし、美香子はもう完全なメスになっている。タトゥーを避ける理由は無かった。
面白いもので、二人とも、つまり母も娘も、ますます綺麗になっていったから、私は時々、滅茶苦茶にしてやりたい衝動に駆られた。
その矛先は、もっぱら美香子に向けられた。美香子は海外出張から帰国すると、日曜の夜を待てずに、私のところにやってきて、一晩中よがり泣く。そのまま朝を迎え、仕事に行くようになった。
美香子は股間を剃られ、下着を着けることも許されず、嬉々として仕事に行く。仕事を終えると、夜遅く私のところに戻ってきて、また散々犯される。その連続だった。
土曜日だけは、真理子のために遠慮した。
美香子は夫と正式に離婚し、法外な慰謝料を手に入れた。その管理は私に任された。
美香子は私との再婚ではなく、私の奴隷になる道を選び、私を所有することもなく、私の言いなりになった。それが美香子の選んだ生き方だった。
私の一方的な命令に服従し、私の気まぐれで好事家に貸し出され、犯されて喜んだ。
私は最初に、美香子の股間にタトゥーを入れさせた。熟練の刺青師に、英語で博士の奴隷、という文字を入れさせた。次に、ケツにも入れさせた。その姿で、私はまた美香子をAVに出演させた。
今度は、完全なマニア向けのもので、無修正だったから、私家版として好事家にのみ売った。それは高値で売れたから、私は売り上げの全てを美香子の口座に入れてやったが、美香子は何も言わなかった。
美香子は億万長者になっていたが、仕事は辞めなかった。逆に私は仕事を引退し、美香子やそのほかの女たちの資産管理の仕事を始めた。
美奈のパトロンは、脳梗塞であっけなく死に、美奈は自由になった。遺言で美奈は店と幾つかの財産を受け取り、私に資産管理を任せて、店を辞めることは無かった。女の衣類やアクセサリーを扱うことは、美奈の天職だった。
こうして真理子は、完全に私のモノになっていった。不思議な偶然の積み重ねだった。
真理子にとって、両親の離婚は痛手だったが、私の調教で乗り越えた。真理子が18歳になったとき、エスカレーターで大学に入学したが、真理子は自由に学部を選ぶことが出来た。
真理子は私に相談することなく、薬学部を選んで、入学式には私と美香子を招待した。
美香子は真理子の前では、完全な母親になったから、私は一切口出ししなかった。二人だけで、良く奈美の店に行っては買い物を楽しみ、勝手に高級レストランで食事をしているようだった。
私の部屋で、美香子と真理子が一緒になることは、決してなかった。真理子は授業と部活で忙しく、美香子の海外出張はますます増えた。二人のうちのどちらかが、私の部屋に泊まって、私に犯された。
美香子は私のために料理はしない。私が作る。真理子は私から貪欲に料理を習い、私のためにも作るようになった。
ベッドでの真理子は、ますます敏感になり、ほとんどVでいつでも逝けるようになった。私は野放図に真理子のVに大量に中出ししたが、真理子が妊娠することはなかった。
真理子が、美香子の出演したAVを始めてみたとき、真理子は、お母さん、物凄く綺麗、といって涙を流して喜んだ。続いて美香子の写真集も見たが、同じ事を言うだけで、なんら反発しなかった。
真理子は学生生活を満喫していたが、同世代の男には全く興味を示さなかった。相変わらず私に犯され続けた。
真理子が20歳になったとき、私は美香子が私の奴隷であることを打ち明けた。真理子は全く動揺しなかった。それはお母さんの生き方でしょ?私には関係ないわ、と言うのが真理子の言い分だった。
そんなことはどうでもいいから、私、留学したいの、と真理子は言った。真理子がそういう言い方をするときは、もう自分で全てを決めているときだったから、私は美香子に話して、費用の算段をしてやるだけだった。
しかし、美香子は違った。母親として、心配でしょうがないようだった。真理子は私に相談した。私は美香子を説得した。できるだけ若いうちに海外生活を経験すべきだ、と。
美香子にとって、真理子はあくまでも娘だったから、事は簡単にはすまなかった。
しょうがないから、私が真理子の留学費用を肩代わりした。
美香子は猛烈に反対したから文句があるなら、お前をシンガポールの好事家に売り飛ばす、といって承諾させた。
真理子は、勝手に米国に飛びたっていった。

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