デジカフェはJavaScriptを使用しています。

JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。

『定家明月記私抄 続篇(堀田善衛)』その13

2009年06月08日 22:25

寛喜元年(1229)記 定家68歳 その2

「京中ノ繊手(オリテ)、唐ノ綾ヲ織リ出スナリ」と・・・。/これは唐綾の模造品製作に、すでに成功していたことを意味し、これがおそらく、ファッション産業としての西陣織の発端である。/当時、宋朝は唐代同様に、綾羅錦繍の唐織物の官営工場をもってい云々。

これを、貴族だけではなく、武士階級までが競って輸入して買い求めていたのである。私貿易は実にさかんに行われていた。/そうして、源平時代の貿易の裏に平清盛がいたことはかくれもない事実であり、云々。

この当時の工芸は唐であったのか。唐綾は美濃絹の五倍の値がしたという。

このウラログへのコメント

まだコメントがありません。最初のコメントを書いてみませんか?

コメントを書く

同じ趣味の友達を探そう♪

  • 新規会員登録(無料)

プロフィール

amu

  • メールを送信する

amuさんの最近のウラログ

<2009年06月>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30