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裏側の世界

2017年12月29日 11:03

お久しぶりです。
年の瀬で1~2ヶ月ほど慌しく、めっきりサイトへの訪問も減っていました。時間があるのでちょこっと更新を。




以前、認識は言語から、正しくは言語化から始まるという趣旨の文を書きました。
私自身は、認識は自覚に類似していると思っています。ニアリーイコールな存在です。
例えば、体調が悪い時を連想します。
さらに具体化するならば、呼吸が苦しい、体が重たい、症状によっては吐き気や高熱を伴うでしょう。つまり、実際に起きた現象や事実を捉えて、初めてそこで人間は自覚するのではないでしょうか。言語に置き換えると、言葉を知る事で初めてその場で起きている事を認識できる、という事になるのでしょうか。


いずれにしても、我々人間は理性と知識を持って産まれ、進化してきた動物ですので、感覚よりも論理で物事を捉える事の方が、平生多いでしょう。言葉もその論理に当てはまるはずなのです。感覚で使う言葉とは、例えば「やばい」「すごい」などなど。
私はこの感覚言葉を見事に使いこなしている方に話を聞きたいです。
「何がやばいの?」
「何がすごいの?」
「何故やばいの?」
「何故すごいの?」
うざったいですが、これに答えられない人もまた大勢いらっしゃるのです。そして、とても悲しい事に
答えられなくても別段自分にとって何も苦はない、または、答える意味や考える意味そのものが存在しないという事までも孕んでいます。


私自身、それでも良いと思いますし
それ以上個人の価値観
とやかく口を出すのは本意ではありません。
ですが、一応、
言語によって世界は認知認識され
また深化拡充すると思っています。
ある現象を表現するのに
「ヤバイ」しか知らない方と
多様な表現を知っている方
私は後者の方の方が
世界の見方が広がり、その方の世界も広がると思います。
世界を自分の言葉で捉え直す、
自覚し直す事は
今まで見えていなかったものや
新しい価値観を与えてくれると思います。




あくまで私論ですので流し読み程度がよろしいかと思います。
本当はもう少し論を深めてしっかりと書きたかったのですが
もう眠たいですので、この辺で打ち止めにします。
のらりくらり書いてますので、おそらく筋が通り切っていないですが、感化文と思ってください、すみません。


もう瞼が重たくなってきました…
お先に失礼。おやすみなさい

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