- 名前
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- 自己紹介
- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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アムステルダムの水源地帯を歩いた
2006年08月21日 11:06
ヴァカンスから帰って三週間余り、その休暇の間も森や山を20kmほど歩いた事は何回かあったのだが少々歩き足りない気がしていたのか、、家人が昨日の夜のニュースのあと、明日はどこかへ歩きに行かないかと提案してきた。 子供達はそれぞれ一日うちを空け、我々もなにも他に約束事がなかったので、アムステルダム市の水源地が大きな公園・緑地になっており、150円に足りない入場料を取ってジョギング、乗馬、散策の者だけに開放しているとどこかで読んだこともあり、また、たまたまその地区の地図ももっていたことから、そこを昼前から歩くことにした。 そのコースを巡って歩くと約18km、5時間余りと書かれていた。
北ヨーロッパの海岸線はデンマークのユトランド半島あたりからベルギーを経てフランスのノルマンディー付近まで遠浅、砂地の海岸線が続いている。 そして大抵は内陸部から海岸に至るには砂浜の手前に砂丘があり、砂地が露出している部分は海岸からの後背部全体に比較して割合に少なく、内陸部に続く海から隔たれた砂地のくぼ地や丘陵地は草や低潅木、広葉樹、針葉樹に覆われ、その幅が何キロにも及べば林、森が続くことが多い。 もちろん砂地であるから足で草に覆われているところを掘り起こしてみるとすぐに砂が現れ、岩や石ころがでてくることは稀である。 これは北ヨーロッパに見られる氷河時代からの遺物で何百万年もかかって今の植物相になったということである。 砂地の頑固さはその上に何百万年も生物の輪廻があったとしても確固とした植物の繁茂に至らない事で天災、人災でもろくも元の裸の砂丘に戻るということでもある。 だから20cmも掘らなくても砂地が現れる森に数百年を経た樫や楢の巨木を見るときにその木が見てきた移り変わりを想像して遥かな気持ちにもなる。
150年前程からの産業革命期になると人口が増えるに従って海岸線まで住居が押し寄せるのであるが、この砂丘とその後背地の植物相と、とりわけ雨水がこの砂丘の植物、砂にろ過され海岸線に平行して何キロメートルか帯状に繋がっている砂丘内部のくぼみに水が溜まり湿地、池となっている。 水が露出していなくても地下に含まれていることが多く、自然にろ過された水が都市の飲料水、生活水として使われてきた。 とりわけ、ここの水はこの150年来アムステルダムの需要を賄うものとして貴重な水源でもある。技術の進歩に伴って何キロも先にはここの何十平方キロかの水源地から集めた水を更にろ過して上水道として都市に送り出すプラントがあるのだが、しかし基本はこの自然の装置である。
広大な森と湿地、池、水路がなだらかな高低を持った砂丘地帯に広がり、いくつもの小道が交差する。 普通、このような水源地でなくても自然公園には車、オートバイは規制されるのだが、ここでは自転車、サイクリング車まで通行禁止であり、人、馬、せいぜいベビーカーのみしか入れないという仕組みになっており、これが普通の公園からとは性格を少し違ったものとしている。 つまり、開放しているが入場を必要以上に求めないという姿勢である。
ここでの主役は水とその管理であり、良質の天然水を貯めるためには自然の環境を整えること、自然に対抗する人間とその造ったものの入場は最小に留める。 すると、その結果、普通の公園とはどう違ってくるのだろうか。
まず、普通は何キロメートルか離れた景色のいい場所にはカフェテラスかレストラン、カフェのようなものがあるのだがこの公園内にはない。 何キロメートルか先には雨露を忍ぶシェルター、煩雑なぐらいの道路標識などがあるのだがここにはない。 トイレもない。 また、普通、公園にはほとんど数十メートルごとにみられるゴミ箱もここにはない。 つまり、レクリエーションの公園ではないのである。 だから人の数は比較的少ない。 入り口近くのこの緑地・公園のインフォーメーション・センターには様々な動植物の展示、この場所の歴史、経緯、機能が20年ほど前のディスプレーのまま示されているのだが、アムステルダムという大都市に近く、また、近所にはフォーミュラー1クラスのサーキットがあって遠くにその排気音が聞こえ、上空にはスキポール空港から飛び立って方向転換をするジャンボジェットが見えるというのに鹿までいるというのは少々信じがたかった。 数週間前にチェコの田舎で久しぶりに鹿を遠くに何頭か見たのだが、こことは環境がまるで違う。
朝から雨模様だった。 天気予報でも降ったりやんだり、気温約23度という予想で暑過ぎず歩くのには適当だったが、うちから30分ほどこの緑地の入り口まで車を走らせている間中、車のワイパーは動いていた。 公園・緑地の入り口近くに駐車場がありそばにはこの付近では一軒だけのパンケーキ・レストラン・カフェがある。 夫婦で傘をさしてこのカフェに入り雨脚を観察して様子を見ることにしたが肌寒くコーヒーに加えて体を温めるためにジンを注文した。
私はポンチョを頭からかぶりテルテル坊主の格好よろしく、家人は自分が背負ったリュックの上に傘を差して歩き始めた。 肌寒い日であり10分ほど行くと雷を伴った激しい雨もそれに追い討ちをかける。 二時間後、昼食に用意したサンドイッチとコーヒーもその時に激しく降る雨の中では巨木の陰に場所を求めたといっても雨を防ぐには役立たず、結局立ったままで食事をすることとなる。 そこは自然に獣道が導いた窪みでもあった。 雨音が絶えずする中では潅木の間にはときどき動物の気配がする。 動物もこちらの足音、気配が雨音でけされるのか、驚いたのはほんの5mほどのところで木の若芽を枝から食んでいた小鹿に出くわし、暫し見合ったことである。 一瞬のあと潅木の茂みに消えた。その後この緑地内のあちこちでいろいろな鹿に出会う事となった。 大きなものは距離を置きこちらの様子も気になるのかさきほどの小鹿とは違い大きな角を載せた雌鹿を伴った若い雄鹿であればこちらを威嚇するのか興味があるのか2分は眺めていることもあるし、森の中では小鹿を何頭か連れた雌鹿はこちらをおどおどと眺め立ち止まるる小鹿を急かせて移動する。 途中雨が小止みになったり、たまには日が覗き青空のかけらも見える事もあったがこのような天気では入場者は殆ど皆無であり、実際、4時間半後に雨も上がりひ弱な夏らしくなってきたときには順路もほぼ終わりに近づき子供づれの家族が幾組か通り過ぎたぐらいで昨晩ここに来ようと話し合ったときには思いもかけない動物との出会いがある一日だった。
家路に着く田舎道で鹿に注意の道路標識があるのを見て初めてこの標識が現実的であることに思い至ったのである。 今まであちこちでこの標識をみたし、スカンジナビアの国ではトナカイに衝突注意の標識もあり毎年それで死者が出ると聞いていたがそのことにも想いが至り、奇妙な気がした。
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