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子供の頃にかかった大病…

2006年07月18日 17:27

僕は、はっきり言って不健康野郎です。病院にお世話になっていない期間の方が、健康に生きてる期間より長いってどうよ?

さて子供の頃に頃にかかった病気って言うのは、「ネフローゼ症候群」と呼ばれるもので、検索すると出てきますが、とあるサイトから引用させていただくと…
タンパク尿が多量に出て、血液中のタンパク質が減り、低タンパク血症を起こすと、全身がむくんでくる。また、コレステロール中性脂肪などが増えて高脂血症が現れる。こういう症状が起こる腎臓病はたくさんあるが、ひとまとめにしてネフローゼ症候群と呼ぶ。」
と有ります。まさにこの通りの症状です。

あれは小学2年生の冬でした。どうも体調が悪く母親に連れられ、近くの病院まで行きました。風邪でしょうから安静に…と言われたのですが、そのうちむくみが出始め、どうもおかしいってことで再度、病院へ。ちょっと尿と、血液の検査をします。結果がでるまで、2週間くらいかかりますので…と言うことで引き返してきたのですが、良くなるはずはなく、そのうち、尿が出なくなり、どんどんむくんでいきました。末期には、目が開けられなかったほどです。

こりゃあ、結果を待ってはいられない(その病院は個人病院だったのですが)、広島市民病院へ連れて行く、と言うことになり、市民病院へ行きました。もう身体は怠いし、さっき言ったようにむくれまくっており、ふらふらの状態で診察を受けに診察室へ入った途端、「ああ、すぐ入院してください」一目見てこういわれました。

あとで聞いた話ですが、何らかの理由で、行った当日(忘れもしない昭和53年1月31日)が病院が休みで一日病院へ行くのが遅れていたら、僕はこの世にはいなかったそうです。それほど症状が進行していたんですね。これを聞いてから、僕は個人病院が怖いんですよ。歯医者とかなら問題はないですが、風邪とかでも個人病院は避けるほどです。

当時の医療設備が、個人病院の方が遅れていたというのはあると思いますし、今とは比較は出来ませんし、もちろん個人病院の方が市民病院のようなでかすぎる病院より、良い病院だっていくらでもあります。ですので、あくまでも僕の実体験でのお話しと言うことにしておいて下さい。

その日から長い入院生活が始まりました。食事療法、運動制限、外出も禁止、必要最低限の物しか置いてはいけなかったですし、とにかく暇でした。まぁ暇、と思えるようになるまでは、かなり時間がかかりましたが。それほど状態が悪く、普通に生活できるレベルまで戻るのに、時間がかかったんです。最初の食事は果物だけ。あとは点滴などで治療していくような状態でしたかね。医者に診てもらったときからあとの記憶がないんですよ。意識も朦朧としてたんでしょうかね。

そこには安静度というのがあって、1度~3度までランクがあったわけです。1度は絶対安静。起き上がってもいけないという状態です。横になって本を読むことぐらいしかできないわけです。
2度になると、1週間に一度だけ30分間、病棟を出てもいい散歩の時間に同行が許されるようになります。お風呂も2度からですね。週に2回だったかな?1度は身体を看護師さんに拭いてもらうのみです。あとは起き上がってもよくなり、自分の部屋と、プレイルームと呼ばれる共同の部屋へ行くことが出来、プレイルームにあるテレビを1日30分だけ観てもよくなります。
3度になると、散歩の回数が週2回になり、テレビも1時間になります。お風呂も週3回入れるようになります。ただ歩き回っていいのは、2度と同じく自分の病室と、プレイルームのみです。他人の病室には入ってはいけません。子供ですから、規則は破ってしまうのですが、そうすると誰かが、「へーやま~わ~り~」と告げ口してましたね。ほんと、子供です。

安静度とは別に食事にも1度から3度までランクが有り、1度は、塩分0の食事で(唯一朝食に味付のりがありましたが)、間食も禁止です。魚、肉などは一切ありません。野菜のみでほんとにまずかったです。味も何もありませんから。
2度になると、朝食がトーストになります。これにマーガリンや、ジャムなどが付きます。あとは牛乳ですね。魚も許可されます。味も付くようになり随分良くなったと思ったものです。果物添加物は一切無しの純粋な氷砂糖のみ、おやつとして許可されます。但し、バナナだけは禁止でした。理由は腐りやすいからだったようですが、看護師さんには騙されてましたね。
3度になると、朝食がトーストか、味噌汁付きのご飯を選べるようになります。ゆで卵も付いていたと思います。どっちでも牛乳は必須項目でしたが。当時、僕はご飯派でしたが、これをいかに早く食べるかで争っていた経験があります。最短3分でしたかね。牛乳は、200ml瓶でしたが、3秒で飲みました。と言うバカなことが出来るようになるのも、このくらいからです。あとは肉が食べられるようになります。ついでに味付けを加減するため、弁当とかによく付いている、ミニ醤油ですね、これが付いたりもします。よく溜め込んで、付いていないときに勝手に使ったりしたもんです(塩分調整されているので禁止事項ですが)

ですので、安静度2・食事3という人も結構いたわけです。ただ隔離された病棟で、面会は家族以外は禁止、すること有りません。売店なんかへは当然行ってはいけません。だから看護師さんや親に頼んで、本やら買ってもらってました。

このような状態で遊ぶとなると、一応小児病棟で、同じような病気(腎臓病で、あとは、急性腎炎の人の方が多かったですね)なヤツらがいるわけで、漫画を読んだり、折り紙したり、LEGOで遊んだり、そうそう一時期ビーズが流行りました。小さなトンボを作ったり、蝶々とか、指輪作ってみたり、想像力を働かして、子供なりに楽しく作っていたもんです。大人が作るビーズアクセとかには全くかないませんが、見舞いに来る母親とかにまで広まって、みんなで楽しく遊んだもんです。

このように入院生活は続き、調子よければ、半年くらいで退院できるのですが、僕は薬を減らすと、途端にタンパク尿が出て、薬の増減を繰り返してました。

さっき隔離されていると言いましたが、この薬に問題があるんです。抗生物質を大量に使うので、免疫力が落ち、酷い人は、副作用で髪の毛が全部抜けるような人までいました。さらに太る人もいましたね。僕は太っていた方です。ころっころと言う表現がピッタリなくらいに太ります。薬が減れば、痩せていくのですが、女の子で、髪の毛が抜けたりするととても可哀相でしたね。
で薬の話しですが、1日20錠位はざらでしたね。メインの薬、補助の薬、薬で胃がやられないようにする胃薬、と種類は少ないですが、量がすごい。メインの抗生物質なんかは、最高一日12錠からスタートするんですよ。で、これも飲み方で変わってくるので、食後に均等に4-4-4と飲むわけではなく、人によって8-4-0とか、6-6-0など、調整するわけです。で、1日2~4錠まで減ると、今度は週単位で飲み方を変えます。例えば、3錠1週間なら、21錠ですね?これを、週最初の3日間のみ7錠服用して、4日休みという感じですね。こうやって、体内に残る薬の量を減らしていくわけです。
で、抗生物質が0になり、血液検査、尿検査を一定期間パスできれば、めでたく退院出来ます。僕は1年半かかりました。ただ通院は続けるので、再発すると、再入院するハメになります。これもやりましたね。2回目は半年ですみましたが。

退院しても運動も出来ませんし、食事こそ自由ですが、退院時に小学4年ですよ、運動全面禁止って言うのは、キツイですね。この頃に運動をしていないと基礎体力が付かない。おかげで、僕は運動が全くダメです。

2回目の退院後も通院は続きまして、高校まで便宜的に小児科へ行っていました。さすがに高校時代になると、もう再発はしなくなり、通院間隔も減るのですが、運動禁止は相変わらずで、就職横浜へ行くまで、変わりませんでした。

横浜でも横浜市民病院へ行っていましたが、ここでも再発をし、一時期入院しなさいとまで言われたことがあります。ですが会社とは無情なところで、大変な病気であることを説明しても理解が得られない。いなくなると困るんだよ、と言われ続けました。逆に言うと、それだけ活躍していたんですが。入社2年で主任と同じ仕事を平気でこなし、工場勤務でしたが、ラインのみんなをまとめあげて、工場一のラインに仕上げました。ラインは女の子主体ですが、結束力は強かったですよ。良くライン友達で、旅行にも行きましたしね。もちろん色恋沙汰もありましたが、それは別の機会に。

そんな病気ですが、広島へ戻ってこいや、と言う親父の一言で(長男ですので)、戻ってくることになり、病院も紹介状書いてもらいましたが、戻ったうやむやで、病院へは行かなくなり、腎臓病としては、もう治ったと言っていいでしょうか。あれから、10年以上経ちますし。

あとで聞いた話ですが、この病気は、当時は治療法確立していなく、難病に指定されていたそうです。ですので、治療代はタダだったと言っていましたが、簡単に言えば実験台となりますがいいですか?と言う書類に判を押すときが辛かった、と寂しそうに語ってくれました。

今では効率よく効く薬もあり、早いと、1ヶ月くらいで退院できたりもするようです。医療の進歩はすごいと思いましたね。


さて、コメレスコーナーです
>pinkさん
そうですねーちょうどその頃です。ラジカセで頑張って録音して聞いたもんですよ。一緒にカラオケ行ったら楽しいかも知れませんね。

さぁお次のお題は、「絶対譲れない魔法少女」で行きましょうか。同年代じゃないとネタ的に厳しいかなぁー(笑)では、また次回~。

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