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願いをかける

2006年07月06日 15:03

僕がよく利用する市立図書館には数日前から笹と短冊が備え付けられている。七夕に向けてのサービスである。
都合により笹を用意できなくても図書館まで足を運べば、誰でも願いをつづった短冊を結びつけることができる。季節の行事を手軽に楽しめることが関心を寄せるのか、思いのほか利用者は多いようだ。短冊を結った枝が重たげにしな垂れている。
主な利用者は子どもたちであろう。お世辞にも上手といえない字で「○○になりたい」、「○○と同じクラスになれますように」と書いてあれば、筆を握るものの姿を想像することは容易い。少数であるが、大人の願いと思われるものも見受けられた。

僕もひとつ、願いをかけてみようかと思いをめぐらせ、苦笑した。
真っ先に浮かんだものは億万長者や不老不死などの、あまり品のよくないものであったからだ。小学生の頃は臆面もなく「ガンダムに乗りたい」と思っていたというのに、つまらないことを考えるようになったものだ。
つまらないついでに言えば七夕の願いなんて迷信である。一年に一度しか会うことのできない織姫星と夏彦星伝説にほのかな願いをかけるのも風情かもしれないが。
夕を楽しむことのできる感性が薄れているからそんなことを考えるのだろう。純粋に願いをかけるなんて、とてもではないができそうにない。
せめて「明日は晴れますように」と書いた短冊を結いつけることにする。

僕がふと思った不老不死の願いは、人類の夢と呼んでも差し支えないだろう。
誰もが人生を謳歌したいと思っているだろうし、絶対的な終焉として控えている死に恐れを抱かずにはいられない。
技術が進歩して人間の平均寿命は格段に延びている。しかし不老不死にはまるで程遠い。それでも、より長く充実した人生を約束するために、技術は発展していくのだろう。
ただ、不老不死とはいわば完全な状態であるが、それが幸せなのだろうかと考えると首をかしげるところである。
人間とは不完全なものである。ひとりで完結できないからこそ他者とのかかわりを求め、そこに発見や成長があるわけである。また、いつか死んでしまうから子孫を残そうとし、そのために異性を求める過程として恋愛がひとつの役割を担うのだと思う。
人間がもしも永遠の存在ならば、性別は不要であるし、個人さえもいらない単一の存在として淘汰されるだろう。完全であれば、それ以上に望みようがないからである。

そう考えると、皮肉なことに忌むべき死が人生において必要不可欠のアクセントとして位置づけられることになる。
完全を望みながらも決して届くことはなく、届いてはいけない。
そんな不完全な存在であることが人間のよさであると思うのだ。

このデジログへのコメント

  • えり 2006年07月07日 15:53

    えりはお金も愛もそこそこあるので(笑)病気を治して健康な身体になりたいな!!

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