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一期一会の出会い

2006年06月06日 16:09

一期一会の出会い

 好きな時代小説家に「隆慶一郎」という人がいる。
彼のエッセイの中に「日本酒一期一会、うまかったらとことん飲むべし」というものがある。
言葉の意味から言えば「一生に一度限りの機会」ということになるが,この言葉が好きだ。
二度と会えないと思って話を聞いていると,自ずとその人の信実の言葉が聞き出せるのだ。
いや,聞き出せるに違いないと思う。
もう1人,中島敦という作家がいる。
中でも,「山月記」がお気に入りだ。
この中に,「一期一会」的な要素が見受けられる。
少々長いが,お付き合い願う。
…虎に姿を変えてしまった主人公の李徴は,それとは知らぬ昔の友,袁參と言葉を交わすこととなる…
 ~ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は隴西の李徴である」と。
 袁參は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懐かしげに久闊を叙した。そして、何故叢から出て来ないのかと問うた。李徴の声が答えて言う。自分は今や異類の身となっている。どうして、おめおめと故人《とも》の前に浅ましい姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を現せば、必ず君に畏怖嫌厭の情を起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも故人に遇うことを得て、愧赧《きたん》の念をも忘れる程に懐かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜悪な今の外形を厭わず、曾て君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろうか。
 後で考えれば不思議だったが、その時、袁參は、この超自然怪異を、実に素直に受容れて、少しも怪もうとしなかった。彼は部下に命じて行列の進行を停め、自分は叢の傍に立って、見えざる声と対談した。都の噂、旧友の消息、袁參が現在の地位、それに対する李徴の祝辞。青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で、それ等が語られた後、袁參は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊ねた。草中の声は~とこんな具合だ。
 一期一会という考え方は気に入っているのだが,いつも一期一会の機会があるわけではない。
それではどうやったらそのような機会になるのか?
それに対する答えはないと思う。
まさに「後で考えれば不思議だったが,…」のようなときなのではないだろうか?
でも,袁參という人間はこのとき,李徴の発する言葉の中に,それが「一期一会」となりうる何かを感じたのだろう。
それを感じられるだけのものを,袁參は持っていたに違いない。
隆慶一郎もそれと同じようなことを「お酒」に見いだしていたのかもしれない。
中島敦隆慶一郎ももうこの世にはいない。
彼らの作品を「一期一会」の気持ちで読み直してみようか,なんて思った。

 皆さんは,「一期一会」の出会いって経験したことがありますか?

写真種子島ロケット発射場です。

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