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理想の男性

2009年12月21日 21:32

婚活ですが本格的に活動を開始します☆

こことも、そろそろお別れになってしまうかと

思いますが

私の理想の男性はドラゴンボールピッコロべジータですwwwwww

もちろん彼らは現実のものではありません。現実はそんなに

きっと誰も強くなくて、かっこよくなくて、情けなかったり。

生きるって大変だ。

でも、そんなかっこ悪いとこも、欠点含めて自分で認めた時点で

そんな自分が愉快で笑えてしまったりする。自己受容ってやつかな。

あがいているうちは、心は岩ということかな。

まぁ、今回、恥ずかしながら自分のピッコロべジータ好きを認めて

アニオタの方の素晴らしい記事を名前だけチェンジして、引用です。




「ここまで読んだ人の中には、「架空の人物に対してなにをバカな」と思っている人も多々あるであろう。

しかし、そういう人は、映画を見たり小説を読んだりして感動することも否定するのであろうか。

 人はドラマ小説により深い感動を受け、涙する。所詮、作りごとの話なのにである。また、新聞交通事故死の記事を読んでも、それが知っている人でなければ、痛ましいと思いこそすれ、悲しむことはない。

片や架空の人物に対して深く感情移入し、片や実際の人間の死に対しても涙の1つも流さないのである。それはなぜであろうか。

その理由は、あくまでその人物をどれだけ良く知っているか、どれだけ自分に深く関わっているかの差によるものである。

つまり、人は自分にとっての他者の存在というものを、自分との関わりで評価するものであり、実在かそうでないかはその関わりの1つの要素にしか過ぎないのである。

 人が他人を認識する際、テレパシーでもない限りその他人の内面、人格といったその人そのものを完全に認識することはできない。

その人の行動、発言を拾い集め、自分が感じるその人像をつくりあげ、自分にとってのその人というものを認識するのである。

その人を良く知っているというのは、その情報の量が多いというだけで、その人そのものを完全に認識している訳ではない。

あくまで、自分から見たその人を認識しているにすぎないのだ。
 量子力学不確定性原理では、観測できないものは存在しないのと等価である、という考え方がある。

これは平たく言うと、どうやっても観測できないものは、ないものと考えても差し支えないということである。

つまり、他人の認識をするに当たり、他人の心が直接観測できない以上、自分では他人の自我というものは考えても意味がないものなのである。

別に、私は他人の自我の存在を否定したり、軽んじるつもりはない。

ただ、自分から見た他人の認識というものは、それが実在の人物であるか架空の人物であるかということによる決定的な差はないということを言っているのである。

 つまり、例えて言えば、私の近所にべジータというカッコイイ男性が住んでおり、その子はよく遊びに来てくれてとても良く知っている。

その男性はとても明るく、その男性が話すのを聞いているとこちらまで心が暖かくなり、その男性の笑顔を見るととても楽しくなってくるのだ。
しかし、その男性はフリーザに自分の星を壊され、フリーザにいいようにされ、そして死したのである。

そのような状況でその男性の死を深く悲しんだことを嘲笑されるいわれはないし、涙を流したことを恥じるつもりもない。」


以上です。このべジータの部分に、本当はアニメ魔法少女の名前が入ります。素晴らしい文章だったので
どなたかに伝えたく、ここに乗せさせて頂きました。感謝します。この理論展開が大好き(はぁと)

このデジログへのコメント

  • あき 2009年12月21日 22:06

    ベジータ様のキャラは大好きだなぁ。ベジ様の留守電メッセージも上から目線が心地よかった。

  • 矢車 2009年12月21日 22:07

    素晴らしい^^
    ついでに人物だけでなく彼らの世界も架空と言わず一つの可能性としてみてあげて欲しい

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