デジカフェはJavaScriptを使用しています。

JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。

制服フェチ

2009年08月14日 03:18

太郎の母は制服フェチであった。

これは間違い無いことだと思われる。
(もう西方浄土に出かけて13年経つので本人には確認できないが)

証拠その1
太郎父は警察官だったが、殆ど私服勤務だったのだが
年に数回制服を着る日があり、前日に制服を準備する際の母は
張り切っていた。
で、制服モデルチェンジがあり、
「○○頃の制服の方が格好いい」
とか言っていた。

証拠その2
太郎は目撃していないが(就職して実家を離れていたから・・)
姉の証言によると自衛隊の観艦式みたいなのを見学して居た時
ハイテンションだったらしい。

証拠その3
父の父が大日本帝国陸軍軍人だったのだが閲兵式の際に帽子につける
羽みたいなのを遺品から発掘して大事にしていた。

制服フェチをもっと正確に言うならば
治安を守る とか 国防を担う 系の制服フェチであった
というべきだろう。

さらに、深堀りするならば、命を掛けて国を守る ヒーロー
あこがれる乙女 だったのである。

原爆の光を島原半島から見た母である。
戦前教育の影響があったのだろう。
母が育った小浜(雲仙のふもと)にはみかん農家ばかりである。
最寄の都会と言えば、島原大村だったろう。
島原には軍事施設は無かったはずだが
大村には海軍航空隊がいたから、軍人さんの姿とかを見たの
かもしれない。


母の兄弟は早世した人が多く、軍人もいたのかもしれない。
(母は戦争について原爆を見た事以外は語らなかった)


と、この時期に思い出すのも悪くはないかな。。。



制服フェチかどうかは置いておいて
母が乙女だったのは間違い無い。
裁縫箱の中に大事な宣誓書をしまいこんでいた。
60近くなった頃母の大事な宣誓書をチラと見た事がある。
それは父が母を嫁にもらう際に書いたものである。
手をあげたりしない事、幸せにする事などなど
約束事が書いてある。
見合い結婚した父と母である。
それは父が母の父親に約束した宣誓書である。
そこに書かれた事が全て守られた気はしない。
でも、母はその宣誓書を大事に裁縫箱の箱にしまっていた。
それを心のより所にしていたようである。

チラ見ではなく、きっちり読んで見たい気もする。


  父はいまだ元気なじいさんだ。
  富士山頂から葉書が届いた。
  80までは登ると宣言してきた。
  80の登山の際には一緒に登ってみようと思う。
  じじいの足腰が丈夫そうだったら、
  足手まとい役をやってもよいかな?とも思う。
  90まで登ると言い出すやも知れぬ。
  意気軒昂なじじいを一人増やしたってよかろう。

このデジログへのコメント

  • るり 2009年08月14日 03:26

    なんかぃぃ夫婦ですね(◎´ω`◎)

  • 太郎 2009年08月14日 03:57

    > るりさん
    昭和時代の普通の夫婦像。平成(今どき)の夫婦には出せない味かもね。

コメントを書く

同じ趣味の友達を探そう♪

  • 新規会員登録(無料)

プロフィール

太郎

  • メールを送信する

太郎さんの最近のデジログ

<2009年08月>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31