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YouTubeで志ん生、馬生、志ん朝を観る
2009年01月08日 08:50
この文を記しておこうと思ったのはインターネットのラジオで松福亭鶴瓶のラジオ「ヤングタウン」を聴いていて、その中で池波志乃の色っぽさを語りその夫と池波の父親金原亭馬生 (10代目)のことを、馬生の父親、古今亭志ん生 (5代目)にそっくりだった、という発言に、全くそのとおり、何週か前にたまたまYouTubeで観た「目黒のさんま」NHK1980年収録、馬生54歳で若くしてなくなる2年前のものを観て驚きをもってそうおもったところだったのでやはりそうだったのかと納得したからだった。
関西に住んでいて東京の噺家たちを直接に見聞きする機会はなく小さいときから専らラジオ、テレビで接するぐらいだった。 テレビでは花形の古今亭志ん朝(3代目)が60年代の初め、自分の番組、サンデー志ん朝、というものを持っておりテレビ時代到来のあたらしい笑いを求める新奇さに少年の私は惹かれていたし大学生の頃にはしっかりした色気や華のある落語にその精進を喜んでいた。 1980年に日本を離れてからは偶の帰省のおりにレコード屋ではほんの片隅にしかない芸能の棚の数少ないCDを買ってオランダに戻りその話芸を味わっている。 古今亭志ん朝(3代目)は語りがテキパキとまた町のお上さんたち、女を語るときには些か高音の伸びに鼻音を絡ませて色気があった。
何週間か前に馬生、52歳の「目黒のさんま」約16分を観て58歳の私は強く印象付けられた。 70年代にテレビで何度か馬生の噺を聞いている。 当時20代の私には語りの地味さと共にアーとかウーの入る間の長さが気になって特に自分から入っていくようなことはなかったのではないか。 私の歳が落語に加えて他に様々なことに興味のある腰の据わらなさ、若気というものからかじっくり彼の噺を聴く態度にはなかったのだろう。「目黒のさんま」のお殿様と家来たちの茫洋としたやりとりと殿様の思慮というような表現が秀逸でその表現の細やかさに強く惹かれた。 約16分というのは短すぎるようにも感じたし30分近い噺ではもっとじっくりと馬生の味を堪能できたのではないかとも思う。 ここでしみじみ自分の若かったときと今を比べ、同じ噺家を聞いて歳で生理的に噺家との相性、好みが違ってくる、ということがあることを理解した。 今まで見えなかったものがここで見えてきた、ということか。 しかし、若くしてこの味が分る若者というのはいるものだろうしそうするとそれはたいしたものだ。 それともこの歳になるまでそれがわからなかった自分の蒙昧を恥じるべきなのだろうか。
続けて古今亭志ん朝(3代目)の「愛宕山」約25分を観た。 その身振り、テンポのよさには相変わらず惹かれるものの手足の所作の美しさに華やかな芸を見る。 彼の兄、父親も基本的には芸人の訓練のもとになる踊りはこころえているのだから動きにはそれは観られるのだが自然に渋く沈降して志ん朝の所作と比べると地味にみえるのはそれは各人の性格でもあるのだろう。 お大尽と幇間、店の番頭とのやりとりの中に遊びの中にもそこはかとない厳しさもある。 幇間という職業の味わい深さはこの間テレビで久しぶりに観た黒澤明「乱」でのピーター扮する大名つきの幇間ともいうべき阿弥の役割はかわらないもののその言葉使い、所作にシェークスピア劇臭さが一層際立った思いがしたことを新ん朝の幇間をみてその対比が際だつのを覚える。 黒澤は幇間というものを基本的には好かないのではないかという想いがよぎる。 大尽が身を持ち崩して幇間になったという実話もあるほどでその時この幇間の豊かさをもてあそぶ客はどんな心地がしたか聞いて見たい気がする。
馬生のゆったりとした話し方とその抑揚、アーとかウー、などの間投詞、言葉のを乗せる少々咽喉に紗が丸くかかったような音質に父親、志ん生を感じたのだろうと思う。 けれど私にしても志ん生のLPもCDももたず多分60年代中頃テレビで観た名人志ん生の印象でしか比べるものがなかった。 当時は噺というより生涯の逸話が神話のように喧伝され、少年の私にはゆったりした70半ばの老人の語りというほどでしか響かずそれまでの志ん生を聴いたことがない者にはその名声が理解しかねる部分があったものの今回YouTubeで「岸柳島」1955年録画、志ん生60歳、を観て印象が一新された。 そこにはテレビで観た、ほぼ座布団に鎮座して時には聞き取りにくい声で話す老人はいなかった。 声には張りがあり動きもしっかりして名人となる面目躍如ということでありそれからの10年間ぐらいの志ん生に接することの出来なかった不幸を嘆いてみてもその頃には小学生や中学生の身、ビートルズやアメリカンポップスに魅かれて今では教科書に落語が載る時代とは違い日本の大衆話芸の古典にはまだ無垢のままだった。
ウィキペディア;古今亭志ん生 (5代目)の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E4%BA%AD%E5%BF%97%E3%82%93%E7%94%9F_(5%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
ウィキペディア; 金原亭馬生 (10代目)の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%8E%9F%E4%BA%AD%E9%A6%AC%E7%94%9F_(10%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
ウィキペディア;古今亭志ん朝(3代目)の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E4%BA%AD%E5%BF%97%E3%82%93%E6%9C%9D
You Tube; 金原亭馬生 「目黒のさんま」
https://jp.youtube.com/watch?v=Hw-0C9UCJOA&feature=related
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